【昭和時代】栄光の記録

2014.09.06

今も剣道場の入口付近にひっそりと保管されている賞状の数々。中には昭和年代のモノがあります。

昭和33年8月28日

日本体育大学 主催大会 ”優勝”

日体大が主催の大会。優勝しています。
8月下旬に日体大が主催する山内旗・倉澤杯争奪高校剣道大会が平成26年で第28回。その大会の前身だろうか...。


昭和34年8月2日

日本体育大学 主催大会 ”優勝”

上記と同じ大会。二連覇です。


昭和43年6月30日

多摩支部 第1回剣道大会 ”準優勝”

今とは違う支部の区分だった時代。国高は多摩支部の所属でした。(たしか城東、城北、城南、城西、多摩に分けられていたような...。現在の八支部構成に変わったのは、たぶん昭和61年度。)
その第1回大会での準優勝。


昭和43年9月23日

東京都学年別剣道大会 ”第三位”

学年別の都大会、二年生の部で準優勝!
主催がなんと日本武道館。
九月なのでどの学校も三年生は引退し、二年生が主力となっているはずの時期。強かったんだなぁ...。
主文の「成績をおめられたので」は、痛恨のご愛嬌か。


昭和43年11月23日

多摩支部 秋季大会 ”準優勝”

多摩支部での秋の大会で準優勝。
これも昭和43年度のチーム。安定して強かったようです。


昭和46年9月12日

東京都秋季大会 ”敢闘賞”

国体予選を兼ねた秋季大会での敢闘賞。
おそらくベスト8ということでしょう。


昭和50年11月16日

多摩地区学校剣道連盟大会 ”優勝”

多摩地区の学校剣道連盟の大会で優勝。 そういえば昭和60年代にも、多摩方面の学校が集まって3人チームで戦う大会がありました。 これもそうだったのだろうか...?


昭和52年9月18日

多摩支部秋季大会 ”準優勝”

これは生田も高校時代に参加したことのある、 夏休み明けにおこなわれていた多摩支部の大会ですね。準優勝です。


昭和の昔、国立高校はかなり強かったという話をよく聞きます。
当時は私立高校が少なかったという一面もあるかもしれません。
「もう少しでインターハイだった」ということを、ある先輩から聞いたこともあります。